和田 智

ミュンヘンも東京同様、第二次世界大戦後、街の多くが壊滅状態にあった。ところが、いまのミュンヘンに行くと、東京と景色が全く違う。ドイツ人はミュンヘンをかつての古い町並みに戻そうとした。ゼロから再び古い町並みを再構築した。一方の東京は、過去を振り返らず、無計画に細胞が分裂するように、新しさを求めて自分勝手に成長し、今の混沌とした町並みができあがった。 日本のメーカーでは、組織のあり方が、デザインの阻害要因となるケースが、決して少なくありません。全然だめなデザインでも、ひと度、デザイン担当部長がゴーサインを出してしまうと、部下のデザイナーは「これは違うのではないか」と絶対に言えないわけです。つまり、「ノー」と言えない。 ドイツのトップブランドでは、経営トップが圧倒的なカリスマ性とリーダーシップを持っており、トップの意思が社内に行き渡っています。だからデザインもぶれない。 ドイツのオヤジたちは、昔の日本のように、父としての威厳をしっかり持っています。父の言うことに家族は敬意を払い、それを尊重している。 ちょっと昔の日本の家には、土間があったでしょう。荷物を積んだ大八車を、外からそのまま土間に入れていた。かつての日本の暮らしが持っていた土間の美しい風情を、今の時代に置き換えて活かすことができるかもしれない。「EVを家に入れる」という発想には、そんな可能性が含まれているのです。